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あきらめの悪さ

父さんの青春時代(ちょっと恥ずかしい表現だ)と共にあった、「スラムダンク」という伝説のマンガがある。

スラムダンク(wikipedia)

父さんが中学と高校の6年間打ち込んだ、バスケットボールについてのお話だ。

どのくらい流行ったかというと、中学入学時に学年120人のうち(一瞬だが)60名くらいがバスケ部に体験入部した…というくらいの影響力。正式入部してからも人数が多すぎて練習用のボールが足りず、1年生はひたすら体育館の外を走らされる…という具合だった。

具体的な内容はYとLがもうちょっと大きくなったら読んでもらうとして、今日はスラムダンクを貫く一つのテーマである「あきらめの悪さ」について話をしようと思う。

ちなみに、父さんは大学生の頃、友人2人とルームシェアをしていたのだけれど、何かショックなことがあったら(例えば、彼女にフラれたとか、彼女に別れを切り出されたとか、彼女に…(以下略))、とりあえず実家に帰ってスラムダンクを全巻一気に読み直して元気を取り戻していた。マンガの力ってスゴイ。

いきなり話がそれてしまった。

スラムダンクには安西監督という素敵なおじさんが出てくるのだけれど、彼の名言の一つにこういうものがある。

「あきらめたらそこで試合終了ですよ」

この日本のマンガ史に残る超有名なセリフ(※)、実はスラムダンクの中で2回登場する。

最初は、三井寿(湘北バスケ部が誇るスリーポイントシューター。元問題児。中学時代のトップ・プレイヤー。だったが、高校入学後ケガがきっかけでグレた)の回想シーン。中学時代の県大会決勝戦の途中、試合を諦めかけた三井に、試合会場に居合わせた安西監督がこの言葉をかける。(単行本第8巻)

「最後まで…希望を捨てちゃいかん。 あきらめたらそこで試合終了だよ」


2度目は、物語の後半、最強の相手である山王工業との試合の最中に、安西監督が得点差を広げられて意気消沈している湘北のメンバーにかけた言葉。(単行本第27巻)

「私だけかね・・・?まだ勝てると思っているのは・・・あきらめる? あきらめたらそこで試合終了ですよ?」

また、同じ試合の中で前述の(影響されやすい男)三井はこうも言っている。

「おう、俺は三井…あきらめの悪い男…」


また、似ている言葉で、「負けず嫌い」も重要なテーマとなっている。

「流川は一見ボーッとしているように見えても、中身はすっごい負けず嫌いなのよ」(湘北バスケ部マネージャーの彩子が流川を評して)

「負けず嫌いかなんかしらねーが、俺だって負けず嫌いじゃ負けねーぞ」(主人公の桜木花道)

「あんなになすすべなく抜かれてそのままにはできねーさ・・・負けず嫌いなんだあいつは キョクタンに!」(桜木の親友 水戸洋平が桜木を評して)

「ま…スポーツする者にとって負けず嫌いってのは大事だけどな…」(湘北バスケ部キャプテン 赤木剛憲)

「負けるよりはマシだ」(陵南戦で相手のエースを桜木と二人でマークすることなった流川楓の一言)


そして、著者である井上雄彦氏も「プロフェッショナル 仕事の流儀(NHK)」の中で、何度も「負けず嫌い」という言葉を口にしていた。(負けず嫌いは桜木と自分の最大公約数である…という趣旨のことも言っている)。


さて、解説が長くなってしまった。(やっぱり父さんのつたない文章力でこの偉大な漫画の魅力について語るのはやはり無理があった…。)


ずいぶん前に、父さんのことをよく知る友人たちに父さんのイメージについて聞いたことがある。その時彼らから出てきた言葉には、「負けず嫌い」とか「あきらめが悪い」とか「火事場のクソ力」という言葉がとても多かった。

小学校で水泳やサッカーをやっていた頃は「言い訳のかたまり」のようだった父さんが、こんな言葉で特徴づけられる性格になったのも、スラムダンクの影響が大きかったのかもしれない。(今の父さんを知る人たちは、どんな言葉を選ぶだろう。ちょっと興味ある。)


もちろん、どれだけあきらめずに頑張っても、負けず嫌いさを発揮しても、どうにもならないことも人生には多い。(人間関係、特に恋愛はその典型かもしれない)。

あきらめられないことで、幸せになれない人もいるだろう。間違った方向に努力してしまうことで、貴重な時間を無駄にしてしまうこともある。

なので、父さんは軽々しく「あきらめるな」とは言えない。

ただ、「あきらめちゃいけない時もある」そして、「あきらめないことで学べることがある」

と言うことは、自信を持って言えると思う。(あと、「スラムダンクは読もう」ということも。)


YとLには、ここぞ!と言う時に、あきらめず、粘ちっこく勝負にこだわれる男になってほしいな。


※15~44歳の男女を対象とした調査における「印象に残っている漫画キャラクターのセリフ」で1位に選ばれている。(NTTレゾナント「マンガに関するアンケート」2012/5/29)
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  1. 2013/06/29(土) 09:36:38|
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「決める人」の孤独について

父さんは先日、また一つ歳を重ねたよ。Y、素敵なプレゼントありがとう。一生懸命描いてくれたんだね。

YとLが毎日毎日、「新しいこと」や「難しいこと」に挑戦して、そして毎日毎日、これでもか!と失敗を重ねる姿をみるにつけ、つくづく人は年齢とともに臆病に、そして怠惰になっていくんだなぁ…と感じる。出かける前や食事中とか、そんな君たちの失敗についイライラしてしまうこともあるけれど(ゴメン)、本当は、もっともっと気長に君たちの挑戦を見守っていたいなぁ…と思っているよ。

”Insanity: doing the same thing over and over again and expecting different results.” – Einstein
(”同じことばかり繰り返しているのに、今までと違う結果を期待するのは、狂気の沙汰だよね。” -アインシュタイン)



ちょっと前、あるブログで知ったこの言葉、なかなか厳しい表現だけれど、たしかに…と思う。歳を重ね、大人になるほど「過去に試したこと」は増えていくのだから、成長角度を維持しようと思ったら、毎年毎年、挑戦の質や量を上げていかなければいけない。人は元来(父さんは特に)怠けものだから、これは大変なことだよね。ちなみに、このアインシュタインという人は有名な物理学者なのだけれど、何をした人なのか、父さんはよく分かっていないので、気になったら自分で勉強してみて。

おっと、また、前置きが長くなってしまった。今日は、『「決める人」の孤独』について。

父さんは、小学校まではやせっぽちのもやしっ子で、かなり引っ込み思案なタイプだった。実際、サッカークラブではずっと補欠だったし、幼稚園ではしばらく女の子に間違われていた(Yは父さんの小さな頃にそっくりだ。あ、ガッカリしないで…。)

そんな父さんが、何を間違えたか、6年生のとき小学校の生徒会長になってしまった。もちろん、立候補する気なんてさらさらなかったのだけれど、当時の女番長(学年の女子グループの中心人物のこと)が「自分のクラスから誰も立候補が出ないのはいかがなものか」と思いたち、隣に座っていた父さんに「ワタシと腕相撲して、負けたほうが立候補しよう!」と言ってきたのだ。

そして、あっさり負けた。ちなみに、その女番長には前年、相撲でも負けていた(というか、投げ飛ばされていた)ので勝負する前に気づくべきだった。

ただ、父さんはもやしっ子ではあったが、負けず嫌いでもあったので、出るからには負けたくない!ということで、立候補者の演説なんかも一応準備し、選挙期間中はタスキを掛けて校門で挨拶するなど地道な選挙活動の末、生徒会長になることができた。

すると不思議なもので、その後も、バスケットボール部のキャプテン(中学)、各種企画の実行委員長やクラスの代表(中・高)、学生NPOの代表(大学)、同窓会の幹事(卒業後)…などなど、気がつくと色々な場面で「代表者」とか「責任者」といった役割を担う機会が多くなったように思う。

さて、「代表者」や「責任者」にとって、一番大事な役割は何だろうか。

父さんは、「多くの人に影響を及ぼす事柄について決める」(≒意思決定をする)ことだと思う。もちろん、常に全会一致もしくは多数決でものごとを決めることもできるかもしれないが、時間は有限だし、多数決は一貫性を欠きがちだ。だから、「この人の決めたことに皆で従う」という人(意思決定者)を定め、その決定に従うとことを予め決めておくことに価値がある。

もやしっ子で、負けず嫌いな父さんは、八方美人なタイプでもあったので、人からネガティブな感情を向けられるのがとても苦手だった。だいぶマシになったけれど、今でもやっぱり苦手だ。

なので、とても恥ずかしいのだけれど、代表者・責任者のくせに「決められない/決めるのに時間がかかる」ことが多く、結果として自分を選んでくれた人を失望させてしまうことが何度もあった。


極めつけは、学生NPOの大学支部長を務めていたときのこと。当時、100~150人くらいの規模になっていたその支部では、組織内の大きなチームごと(と言っても、1チーム20~40人とか)の縦割りで運営されていた。

父さんは、1) チームの単位をもっと小さくし、より多くの人がチームリーダーを経験できるようにしたい、2) チーム間のメンバーの行き来を活発にしてアイデアの創発を促したい…などと考えて、1年単位の大チーム制から3ヶ月単位の小さなプロジェクト・チーム制に組織デザインを変えようと思ったのだけれど、反対する人の声を気にするあまり、ずるずると意思決定が遅れてしまい、結果として全員がUnhappyになる状況を作ってしまった。

具体的には、支部のメンバーは自分のチームがどうなるか不透明な状況で足が止まってしまった上、大学支部の総会では下半期の予算の承認を得られず、幹部メンバーが全員辞任…という前代未聞の事態を招いてしまった。(ほとんどの幹部は下半期も不甲斐ない自分と一緒に支部の運営を担ってくれたのだけれども。あれは本当にありがたかった。感謝。)

そんな手痛い失敗の数々から、父さんが「ものごとを決める」役割を担うときに、心がけている/意識するようにしていることを、少しだけYとLにも伝えておきたいと思う。もちろん、父さんもまだまだ勉強中だし、こういうものに正解はない。けれど、いつかYとLに「ものごとを決める人になる機会」がめぐってきた時に、このブログを読んで「恐いけれど、ちょっとやってみようか…。」と思ってくれたら良いなと思って、書いてみる次第だ。



1. 全員をハッピーにすることはできない

「多くの人に影響を及ぼす事柄について決める」以上、全員がハッピーになる(≒満足し・納得する)意思決定は「ありえない」と割り切ろう。というか、そんな決定があれば「決める人」を選ぶ必要はないよね。
また、反対する人は、その「案」に反対しているのであって、「案を出す人」に反対しているのではない(そうでない例も時々見かけるけれど、そういうのは放っておこう)ということも覚えておきたい。


2. 意思決定の成果は組織の「外」にある

意思決定に際して、自分が普段よく接している組織の中の人たちに「いい顔をしたい」とか「認められたい」という思いを優先するのは、とてもリスクが大きい(父さんもたくさん失敗した。特に、責任者になって最初の頃はこういう誘惑が大きい)。もちろん、仲間のやる気を引き出すことは重要だし、メンバーの気持ちをないがしろにしてよい…という訳ではないけれど、成果・結果は基本的に組織の「外」にあるのだと考え、その成果を最大化する決定になっているかどうかを常に意識したいと思う。


3. 間違ったら素直に認めてやり直せばよい

テストと違って、意思決定に全問正解はない。どれだけ考え尽くしても、(結果として)「間違っていた」とわかるケースも多いので、そういうときはさっさと「ごめんなさい!間違っていました。やっぱりこっちでお願いします。」と、方針転換する方が吉と出るケースが多いように思う。また、そんな時に清々しく自分の失敗を認められる人は、とてもカッコいいと、父さんは思う。

もちろん、よく考えずに行き当たりばったりで意思決定するのは論外だけれど、すべての情報を網羅し、すべての選択肢やシナリオを考慮するのは土台無理な話だ。

「意思決定が1日遅れると、チームの行動は一週間遅れる。組織が大きくなれば、その遅れは階層ごとに一ヶ月、1四半期…と広がっていく。意思決定は、じっくり、でも、素早く。」これは、父さんが件の学生NPOの全国代表に選ばれた時に、尊敬する先輩から言われた言葉だ。重い。

関連して一つ付け加えるなら、「失敗したらやり直しが出来ないほどの損害」を負うような決定は、極力避けなければいけないとも思う。


4. よき“批判者”を側におく

「決める人」は孤独だ。これまで書いたように、誰も「こうしろ」と指示はしてくれないし、あちこちから反対もされる。そして、結果として間違っていたら責められることもある。だから、決めるのを恐いと感じるのも自然だと思う。

だから、父さんは何か重要なものごとを決めるときは、信頼できる仲間(誰がふさわしいかは時々によって異なるし、複数であることもある)に、意識的な「批判者」として、事前に気になる論点やリスクを指摘してもらうようにしている。自分はそれが正しい!と信じる一方で、自分以外の目からその決定がどう見えるかのシミュレーションを行うのはなかなか難しい。

そうすると、あくまで結果として、意思決定の場では(仮に彼/彼女が個人的には反対であっても)自分の決定を支援してもらえることが多く、そうすると「決める」ことのプレッシャーも少しはやわらぐように思う。

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以上、繰り返しになるけれど、「決める人」は孤独だ。だけれど、人が成長するには「孤独」が必要なのだとも思う。

父さんが好きな劇作家・演出家の鴻上尚史さんはその著書「孤独と不安のレッスン」の中でこんなことを言っている。



・人は、定期的に孤独になり、自分と向き合うことが必要なのです。それは、道徳的な意味ではなく、生活の知恵なのです

・人間は、一人でいる時に成長するのです。素敵なことを人から聞いても、役に立つことを本で読んでも、一人でそれをかみしめる時間がないと、自分のものにはなりません

・「他人の欲望」に敏感になりすぎると「自分の欲望」を見失いやすくなる

・宙ぶらりんな状態のまま、「他者」と、そして「孤独と不安」とふうふう言いながらつきあえる人が、成熟している人なのです






どうだろう。「決める人」になる不安が少しはやわらいだろうか。

さいごに一つ。

自分自身が「決める人」として味わった孤独は、将来「決める人」と一緒に仕事をし、その人を支えるときにも必ず役に立つと、父さんは信じている。

父の日2013


(長男Yからもらった父の日のプレゼント。ありがとう!)

  1. 2013/06/16(日) 08:58:41|
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