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ネット生保で働くなんちゃってトライアスリートが子どもたちと話したいこと

信頼と一貫性(とその罠)

週1回ペースで…と宣言したのに、前回エントリーからいきなり2週間以上あいてしまった。なのに「一貫性」についてブログを書こうとしているとは、われながらツッコミどころ満載だ。まぁ、いいか。

父さんは今、IR(Investor Relations)の仕事でアジアに出張していて、この週末は、父さんが5年前まで働いていた香港でのんびり過ごしている。街の匂いは当時のままなのに、あちこちに見たことないビルが立っていてなんだか不思議な感覚だ。

さて、今日は「信頼」ということについて書こうと思う。なんだかまた堅いテーマだね。

3年ほど前、父さんは会社の社員ブログでこんなことを書いている。

信頼とは、文字通り、信じて頼りにすること。
「信用」が社会的な評価(過去の実績に基づくより客観的な評価)であるのに対し、「信頼」はパーソナルな評価(将来への期待に基づくより主観的な評価)、と対比すると分かりやすいかもしれません。

逆に言えば、お客さまに、多くの保険会社の中からライフネット生命を選んでいただく際には、当社の経営方針や将来の事業運営、そしてリスク管理に関する姿勢等に対する「信頼」が大きな役割を果たしてきたとも言えます。


※ 社員ブログ(2010年4月)「信用と信頼」より

この頃は、まだまだ「信用」の足りない立ち上げ期の金融機関として、何よりも「信頼」を大事にしたいという強い気持ちはあったのだけれど、正直なところ「信頼が何によって築かれるか」ということについて、あまり突っ込んで考えていなかったように思う。

あれから3年。お客さまの数は5倍になり、また、株式公開を経て、10,000人以上の方が新たに株主となるなど、ステークホルダー(Stakeholder=会社を支えてくれる人たちのこと。よく「利害関係者」と訳されるのだけれど、ちょっと違和感がある)の数は段違いに多くなった。

そんな中、ステークホルダーとの信頼関係を築く上で何を大事にすべきかについて考え続けてきたのだけれど、これまでの一つの結論であった”オープンさ(正直であること。情報開示の徹底)”に加えて、”一貫性(はじめから終わりまで一つの方針・考えによっていること。筋が通っていること)”がとても大事なのではないかと思うようになった。

その背景にあるのは例えば、

・関係者の増加: 少数の顔の見える相手であれば、多少ふらふらしていても、一人ひとり説明して回ることができる。

・歴史の積み重ね: 事業開始から時間が経つにつれ、過去の判断との整合性・一貫性が問われる場面が自然に増えてくる。

ということなのだと思うのだけれど、これは会社ではなく個人についても似たようなことが言えるかもしれない。

YやLが成長するにつれて、普段接する人の数はどんどん増えていく。相手によってころころと態度や発言を変える人は、どう見られるだろうか。

成長するにつれて、自分の過去の行動や発言はどんどん蓄積されていく。特に、ソーシャルメディアの発達に伴い、ネット上に文章や動画として記録が残ることも増えるだろうし、そうすれば、簡単に過去の言動と照らし合わせることができる。

「なんだか息苦しいなぁ」と思うかな? たしかにね。
でも、父さんは必要以上に怖がる必要はないと思う。

一つのヒントは、「自分が大事にしたいこと・守りたいルール」のようなことを持つこと。
それを毎日の暮らしの中で、行動の規範・基準としていれば、過去の言動との一貫性をいちいちチェックする必要はないよね(もちろん、そういう方法もあるだろうが、それはかなり面倒だし機動性に欠けるだろう)。

なので、YやLが自分なりの「大事にしたいこと」(価値観ともいう)を見つけられるように、サポートしてあげることが父さんの役割の一つなのではないかと思っている。もちろん、父さんが大事にしていることを押しつけるつもりはない。とは言え、やっぱり親なので君たちのことを思うあまり、知らず知らずのうちに押し付けがましくなることもあるだろうが、それは話半分に聞いておこう。


さいごに、「一貫性」には大きなリスク(罠と言ってもよいと思う)もあるということも知っておいてほしい。

例えば、

・過去との整合性を重視するあまり柔軟性を欠いてしまったり、誤りを素直に認められなかったり、新しいアイデアを受け入れられなかったり(難しい言葉では無謬性と言ったりする)

・相手によらず一貫したコミュニケーションを目指すあまり、一本調子の堅物と思われて疎んじられてしまったり

などなど。

まぁ、何ごとも「行き過ぎ」は禁物だし、色々と副作用はあるかもしれないけれど、それでもYやLには「人から信頼される男」になってほしいなぁ、と思う。

でも、父さんの過去のtwitterやfacebookをのぞいてツッコミ入れたりするのは勘弁な。

TimesSquare
※ 写真は懐かしの時代廣場(Times Square)@香港・銅鑼湾。左奥に見えるのは今年4月にオープンしたばかりのユニクロ旗艦店。変わらないようで変わっている。
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  1. 2013/05/27(月) 01:52:05|
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限界点を知ることとパートナーの存在について

今日はこどもの日。Yとっては3回目、Lは初節句になるね。

Yはよく知っているように、わが家には五月人形がないので、例年どおり、じいじの家から一式借りてきて写真を撮ろうと思う。今週末にでも(手抜きでスマン)。

さて、昨日は、Y(長男)と二人でプチ山登りに出かけた。往復で1時間くらいだろうか、君は道中で拾った自分の背丈の二倍はある木の枝を得意そうに振り回しながら、父さんのあとをちょこちょこ寄り道しながら登ってきたっけ。

途中何度か、「そろそろ帰ろうか?お腹すいてない?ジュース飲みたくない?」と聞いてみても、「まだ帰らない。もっと登る!」と言い張って、なかなか帰ろうとしなかったね。

山の中腹から遠く浅間山を二人で眺めて、「かっこういいねぇ」と感動した後、ようやく帰る気になってまもなく君は、「パパー、Yくん、いっぱい歩いたら疲れちゃったよぉ。抱っこしてぇ。」と、猫なで声(?)で父さんの足にまとわりついて、一歩も動かなくなってしまった。

あまりに予想通りの展開に、「だから、途中で戻ろうかって何度も聞いたじゃん!」と思いつつ、仕方がないので14kgある君をおんぶして来た道を戻って行った。(話はそれるけれど、父さんのトライアスロン仲間が何人も挑戦し完走している砂漠レースは、このくらい重いバッグを背負ったまま5日間250km近くも走り続けるのだと考えたら気が遠くなった…。みんなスゴイ。)

あたり前のことだけれど、仮に父さんが一人でトレイルランニングの練習をしていたとして、途中で動けなくなってしまったら、それは遭難(や場合によっては死の)リスクに直結してしまう。だから、自分の体力と相談しながら必要があれば途中で引き戻すだろう。

自分の限界点を知ることは自分の限界を超える最重要かつ最初のステップ。@hideshione


最近、父さんが気になっているビジネスデザイナー/ZIBAの濱口秀司さんという方が、つい先日、twitterでこんな言葉をつぶやいていた。

昨日の山登りでYが自分の体力の限界点を知ったように(とは言え、君はまた同じことを繰り返すだろうけれど、それはそれで大いに歓迎だ。どんどん挑戦して、どんどん失敗しよう)、君たちは成長するにつれ、自分の限界点を知ることになる。それが大人になるということの一つの側面だとも言えるかもしれない。

ただ、忘れないで欲しいのは、君が何かに挑戦して知ることになるのは、(多くの場合)「本当の限界」ではなく、単に「その時点での限界点」にすぎないということ。

ちょっと格好つけた言い方になってしまったかな。

それが体力であれ、技術であれ、知識であれなんでも、自分の(その時点での)限界点を知り、受け入れることは、それを乗り越え、自分の可能性を押し広げていくスタート地点であるという考え方には賛成だ。

だから父さんは、君たちに「大人しい」(=限界点を超えるリスクを取らない)子どもにはなってほしくないなあ、と思う。
もちろん、父さんも、(ちゃんと自分の限界点とそれを踏み越えるリスクは認識しながら)挑戦し続ける、「子どもっぽい」大人であり続けたいと思う。

ちなみに、父さんの場合は、外見が実年齢よりも(だいぶ)上に見られることが多いので、父さん似のYは、そうなる可能性が高いだろう。それは仕事の上では有利に働くことも多いけれど、「子どもっぽく」い続ける上では自然と足かせになってしまうかもしれない。

**********

さて、もう一つ、昨日、君とプチ山登りをしていて考えたことがある。
それは、「挑戦を支えてくれるパートナーの大切さ」

父さんが大学生だった頃、いわゆる体育会系の部に所属していたため、早朝練習のあと、お昼の前にウェイト・トレーニングをこなすのが日課だった(午前中の授業のことについては聞かないでほしい)。

大学生にもなると、自分の体力や筋力の限界はよく知っている。だから、普通にトレーニングしていると、どれだけ意識していても、自然と手を抜いてしまう。そこで大事なのが練習パートナーの存在になる。

例えば、ベンチプレス。傍に立って「何かあったらすぐに助けてやる」というパートナーがいるから、「ぐむむ…もうダメだ…。」と思ってからの追加の1回に挑戦できるのだと思う。(だから、パートナーはちょっとSっ気がある人の方がよいかもしれない。)そして、その1回の積み重ねが、決定的に重要になる。もし君も一人で散歩に出かけていたら、歩けなくなる前に戻ってきていたかもしれないね。

これは仕事でも同じことなのかもしれない。

誰だって、新しいことや出来ないかもしれないと思うことに挑戦するのは怖いものだ。

それを、「いいからやってみろ」と言ってくれる上司の存在。「何かあったらヘルプするからいつでも言ってね」と言ってくれる先輩の存在。「仕事がひと山超えるまで、子どもたちの面倒はなんとかするよ」と言ってくれる妻や親の存在。

限界を越えて挑戦し、可能性を押し広げていくためには、そんなパートナーの存在が欠かせない。だから、君たちには、自分の挑戦を支えてくれるパートナーを心から大事にしてほしいと思う。そして、挑戦して成功した時も、失敗したときも、それを支えてくれたパートナーへの感謝の気持ちを忘れてないようにしてほしいと思う。

なんだか、ずいぶんとかたい文章になってしまったね。

まとめると

・どんどん挑戦して、失敗して、限界点を押し広げていこう。父さんもそうする。

・挑戦を支えてくれるパートナーを心から大切にしよう。感謝の気持ちを忘れないようにしたいね。

・父さんは君たちが限界点に挑戦する際の、よきパートナーでありたい。

・君たちと将来酒を酌み交わすとき、いくつになっても、お互い「今度はこんなことに挑戦するんだ」という話で盛り上がりたいな。

といったところかな。

プチ山登り
(プチ山登り中のY)

  1. 2013/05/05(日) 10:34:28|
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直感と信念と歯がゆさと

「AとBとC」というタイトルを見て何を思い出すか。

父さんと同じ1970年代生まれだったら間違いなく、「恋(いと)しさと切なさと心強さと」か「部屋とYシャツと私」だろう。2010年代生まれの二人にとってはどうだろうか。

ちなみに、これを読んで、『おかしい。「A、B及びC」、「A並びにB及びC」、または「A及びB並びにC」などとすべきだ』と、最初に感じたとしたら、法律に関わる仕事が向いているかもしれない(父さんには向いていなかった)。

そんな話はどうでもいい。

今日は、父さんが心から尊敬する友人が、直感と信念について書いた本「正しい判断は、最初の3秒で決まる」について書こうと思う。父さんが生まれてはじめて献本(「けんぼん」ではなく「けんぽん」と読むらしい)頂いた本だ。慎さん、ありがとう。

最初にタイトルを見たときは、マルコム・グラッドウェルの名著『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』を意識しているのだろう…という印象だったが、果たして中身は大きく違った。

「第1感(原著は”Blink”=ひらめきの意)」は、適応性無意識という人類が厳しい生存競争を勝ち抜く中で培ってきた、わずかな情報で素早く適切な判断を下す能力を所与として(その存在については、エピソードや心理学実験を紹介するにとどめ)、よりよい人生をおくるために、その能力(脳力)をどのように引き出し、活用するかという点に焦点が当てられている。小難しいことを言っているが、要は、「直感をどう役立てるか」の本と言ってもいい。

一方、「正しい判断」は、歴史、哲学、ビジネス、科学、スポーツ、建築…古今東西の様々な文献やその道の第一人者たちの言葉を引きながら、著者自身の経験も織り交ぜ、どのようにして直感と信念(経験に基づき、無意識のうちに最善の選択肢を選びとるものであり、人の発想/行動を左右するもの)を磨き上げるか、それにより何が変わりうるのかという点について、多くの頁を割いている。いわば「直感をどう鍛えるか」について書かれた骨太の本だ。そこに近道はない。

また、その構成は彼がインプットしてきた知や情報を、主題である「直感と信念」という軸にそって並び替え、組合せながら次々に読者に提示していく、小気味よいキュレーションのようで、ふむふむと読んでいるうちにあっという間に読了してしまった。

その土台にあるのは、新しい経験によって培われた人間の直感と信念が、イノベーションを生み出し、世界をよりよい場所に変えていく。そうして、変化した世界が新たな経験を生み出していく。その繰り返しによって、世界は前に進んできたのだという世界観。

この本が世に出たのと時を同じくして、「機械との競争」という本がベストセラーとなり、人類とコンピュータが将棋で戦う第2回電王戦が大きな話題となり、人類側が1勝3敗1引き分けで負け越したというのは、きっと偶然ではないだろう。

YとLの二人が成人し、仕事をはじめる頃になっても、イノベーション(=著者は「社会に存在している課題を今までにない方法で解決すること、もしくは先例のない課題を解決すること」と定義する)は人類の専売特許であるとは思うけれど、逆に言えば、”それ以外”の仕事でお金をかせぐのはどんどん難しくなる、そういうとても厳しい時代に二人は生まれたのだとも言えるかもしれない。これは大変なことだけれど、とても楽しいことでもある。


ちょっと話はそれるが、父さんは二人に謝らなければいけないことがある。

特にLが生まれてからこの半年くらい、何かあるたびに「子どもが二人になると、なかなか自由な時間が取れなくって」と、たいした努力もせずに、子育てを言い訳に、色々なことをサボってきた。

余談だけれど、言い訳が多いのは父さんの悪いクセで、古くはなんちゃってサッカー少年だった頃にさかのぼる。幼稚園の時は、所属していたサッカー部が強豪すぎてベンチをあたためることが多かったのだけれど、たまに試合に出られるチャンスが来ても、出場直後からちょっとした拍子に足を痛めたフリをして、もしミスをしても「いや、足が痛くて…。」と言い訳できるようにしようなんて考えていた。恥ずかしい。

著者である慎さんは、父さんと同じ金融業界で働き(同じ会社だったこともある)、父さんと同じような特技(Excelを使った財務モデリング)を持ち、父さんと同じスポーツ(トライアスロン/ウルトラマラソン)を楽しむ。

この本を読んで、その内容以上に衝撃だったのは、父さんが言い訳をして色々とサボっている間に、彼と父さんの間に、これほど大きな差が開いてしまったのか…という悔しさであり、歯がゆさだった。

インプットの質と量、そして、多忙な中で同時並行で複数の本を執筆するアウトプットの努力、さらに今このブログを書いているその瞬間、日本のウルトラランナーの憧れの大会の一つ、川の道フットレースという、太平洋から新潟まで5日半で520kmを走破する変人レースに挑戦しているという事実。なんてこった。(彼の生活スタイルを記事にしようとした編集者が、あまりのストイックさに、これでは読者が共感できない…と諦めたという話もあったと記憶している。)

このタイミングでこの本に出会えたことは、二人のために父として何ができるかの前に、まず自分自身がどう生きるかを見つめ直すよいきっかけになった。心から感謝したい。


はて、なんともまとまりのないエントリーになってしまったけれど、さいごに、気に入った文章を2つばかり引用しておわりにしたい。この本が、直感と信念の人としての慎さんの生き様であり、そして、新たなチャレンジに向けたマニフェストなのだと言うことが伝わってくる迫力の一文。心打たれた。

二人が大きくなってこの本とブログを読む頃、慎さんはどんな風に世の中を良くしているだろうか。そして、父さんはどうだろう。その時がきて、二人に「あーぁ…。」と思われないよう、父さんも逃げずに進んでいきたいと思う。

仕事を通じて論理的に考えることを教えこまれている人であればあるほど、論理的に正しいことを話しているときに得も言われぬ安心感を覚えるだろう。私もその一人だ。しかし、それだけでは十分ではないのだ。私たちは時として、自分の経験を信じて、飛躍する勇気を持たなければならない。「論理的で賢い」人々から、時には冷笑を浴びることがあっても、まだ自分の言葉にもできない思いを信じ続ける勇気を(p.53)。

私はどうしてもこの本を、今、書きたかったのです。隼が飛びたいように、チーターが走りたいように、私はこれを書きたかったのです。私はこれから起業します。全ての人に必要なお金が届く世界をつくり、より多くの人が貧困から抜け出す機会を生み出すために、21世紀における世界銀行の代わりとなる民間金融機関をつくろうと思います。(p.236)



慎さん、川の道520kmの完走、そして起業、応援しています。でも、身体も大切に!


正しい判断は、最初の3秒で決まる 投資プロフェッショナルが実践する直感力を磨く習慣正しい判断は、最初の3秒で決まる 投資プロフェッショナルが実践する直感力を磨く習慣
(2013/04/19)
慎 泰俊

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  1. 2013/05/01(水) 07:59:06|
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